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一閻浮提総与のご本尊についての個人的な見解


大御本尊についての個人的な見解

ネットでは楠本尊が日禅授与の本尊から作成した後世の偽作ではないかと、画像を重ね合わせるなどしているブログを見かけたり、それに同調して学会をやめた人や、学会員でも楠本尊は偽物ではないかと思っている人もいる。

出どころは、河辺メモの中で日顕が述べたとされる「戒旦の大御本尊のは偽物である」という発言から事は起きている。

すこし、ネットで散見される議論を書くとまずは真筆だとする方は、日禅授与の本尊は、往古の昔に大石寺から紛失していて1500年代になってはじめてその当時の持ち主から北山本門寺に奉納されている本尊で、富士宗に戻ってきたのは明治時代になってからという本尊である。

だから、中世に偽作するのは不可能だろうという議論があったり、
反対に、そもそも楠が大石寺周辺に自生したのは室町時代以降の事なのだから、楠の本尊があること自体偽物の証拠などという議論もあったりする。

私もそれらの議論は一通り読んだ。学会や脱会した人たち、宗門の方々、顕正会、また、おそらくは朗門派の人たちのそれぞれも読ませていただいたし、よく調べているなと感心もした。

また、日禅授与のご本尊と大御本尊を重ね合わせている動画も実際に見た。
観た感想としては、率直に言ってとても似てはいるが、全く同じとは言い切れなかった。

だからという訳ではないが、そういった方々の調べたものなどをみても
個人的な見解としては、どうも大御本尊が偽物であるという事に腑が落ちないところがある。

それらの方々と角度が少し違うのであるが腑に落ちない点は

一つには、一閻浮提総与の大御本尊というその名称と
本門寺建立が後世の弟子に託されていた点。
それから願主が弥四郎国重という事。

例えば、室町時代に入り、朗門派や要法寺流の日蓮仏法が隆盛を極めていたため、
それに対抗しようとして富士宗の正統性のために大御本尊を創ったとする。

日有上人の時代が怪しいとされているが、ではどうして本門寺建立の概念が日有上人よりずっと前の重須の日順上人時代にあったのだろう。
(一閻浮提総与の大御本尊のことについて話しているのに、なぜ本門寺建立について話すのか疑問に思う人もいると思うが、まずは少し読みすすめてもらいたい。)

日順は日興上人から直接指導を受けていたし、また、一度は本迹一致を唱えたもののその後改心し、日興上人のもとに帰順した五老僧の日頂からも日蓮仏法を学んだという時代の人だ。

その時代にすでに本門寺建立への熱願が日順の筆から良く読み取れる。

そこで思うのだが、その時代にすでに本門寺建立の概念があったとすれば、それこそ大聖人の御遺命であったとする方が妥当ではないかと考えられてしかたがないのである。

そのことから本門寺建立は大聖人から後世の弟子に託したものであったと私は思うのだが、
大聖人が本門寺建立を後世に託すにしても、当然のことながらその本門寺に安置するべき本尊を留めておかない方がおかしいと思うのである。

(こう書くのは、富士宗の相伝書、百六箇抄といった御書が偽書ではないかとの議論が取りざたされているからで、その御書にのみその概念があるからだが、

こちらも日順の書を読めばその当時すでに本門寺建立の概念があったことは、はっきりとしていて、そこからみると百六箇抄も偽書ではないのではないかと思える。

ちなみに偽書疑惑のある御義口伝の内容そのものに日順が触れている個所もあり、そこからも御義口伝の偽書説を唱えた人はどれだけ研究をしたのかという疑問が湧いてくる。

特に御義口伝が八品派の日隆の影響があったのではないかとしている議論もあるが、時代的には日隆は日順よりずっと後代に生れている人だし、そこから見ると日隆に富士宗が影響されたのではなく、日隆が富士宗に影響されたのではないかとさえ思う。

そういった眼が少し鈍っているのではないかと思ってしまうような人達から出ている疑惑の一つである楠本尊疑惑なだけに、そのことにつけても、まったく怪しいなと思わせられる)

もう一つは一閻浮提総与というその名称。

御書のどこにも一閻浮提総与という言葉自体ないので、後世、楠本尊を創作したのだとすれば、その名称も必然的に創作したことになるが、

全ての人に与えるご本尊というその名称は、あまりにも大聖人のご精神と一致しすぎているように私には思え、

そういったむしろ大聖人のご精神そのものといっても過言ではないようなその名称が、自宗の正統性を主張するために楠本尊を作るような人が果たして思いつくような言葉なんだろうかと思うとどうも腑に落ちない。

また、願主の弥四郎国重について。
後世楠本尊を創作するような人なら、本尊とはいえど物にことよせて正統性を主張するくらいなのだから、より正統性を主張しうるようなよく名の知れた、例えば、日興上人や南条時光など、日蓮仏教史に名を馳せた人物の名前をつけたりするんじゃないかと思えてならないのだが、

それともう一つ、弥四郎国重を願主としたことに大聖人のヒューマニズムが、中道が、端的に表れているように思えてならないから腑に落ちない。

ところで彼の事は誰だかわかっていないし、大聖人の想像上の人という話も小さい頃、座談会で聴いた記憶があるのだが、
楠本尊が完成したのは10月12日であるものの、9月には、弥四郎という富士宗に帰依した農民が雑踏の中で切り殺されている。


ここからは少し話がずれるが、明確に弥四郎という名前が出てきているのに、その後に楠本尊が作成されたとはいえ、どうしてこの弥四郎が願主だという議論がこれまで出てきていないのかそれも不思議に思う。あるいは何かそうならない根拠があるのだろうか。

ただ、どうだろう。
権力を持つものは、行動力や影響力のあるものの力を削ごうとはしないだろうか。
そうすれば、影響を与えられていた人が動揺するだろうと考える方が権力者たちの思いつきそうな策略のようにも思える。

弥四郎もまた、神四郎、弥五郎、弥六郎と同様に他の農民に影響を与えるような大折伏を敢行する信徒の一人だったのではないか?
だから切られたのではないか?
大聖人はその先駆けを願主として大御本尊を建立したのではないかと私はどうも憶測して考えてしまう。

知名度の高い人物でもなく、また、社会的な地位がある人物でもなく、その当時の価値観からしたら社会的な地位では底辺にいたともいえる一農民信徒、

あるいは実在はしていなかったとしても、
その当時のいわゆる庶民、権力者の横暴には振り回されてしまうような大多数の庶民に、多くつけられていたであろう名前を願主に選ぶ発想が偽作した人にあったとすれば、全く大聖人に直結した信心をしていた人であろうし、

逆にそういう発想を持つ人であれば、どのような困窮状態に陥ろうとも、大御本尊を偽作しようなどとは夢寐にも思わず、広布の戦いに打って出ることで正統性を訴えるのではないかと思えてならない。

実際に、怪しいとされる日有は折伏を敢行する人物であったし、明治時代に日霑が国家諌暁を再開するまでずっと行われないでいた国家諌暁(天奏)を最後に行った人物でもある。

題目を唱えに唱え、広布のために戦った人なら、友人に本尊流布した経験のある人なら、部員さんを何人も励まし起こしてきた人ならわかりすぎるほどわかるだろうが、祈り戦えば戦うほど、誓願の度は増し、それだけ小さな世間の策略など眼中になくなってくる。

自分の小さな境涯で考えつくような小さな策など張り巡らせなくとも、信力・行力に応じた仏力・法力の凄まじさを私達は実感するからだ。

「御本尊はなんということをしてくださる」ということの連続になっていくからだ。

逆に日蓮仏法は師弟の誓願なくしては本当の意味での行動は伴わない仏法でもある。

これが創価の仏法だ。教行証が一つもかけることなく、完全に一致した仏法だ。
この時、身口意のとは、完全に御書と一致する仏法だ。

死身弘法の師匠のもと、死身弘法の弟子があまたにいるからこれだけ世界に広まったんだ。

反対に法主になったら日蓮だ、金口相承を受けたから蓮祖上人だなどいう日顕は
口では日蓮、意も日蓮だが、肝心の身は一体なんだ。どこが日蓮と同じだ。
どれだけ大聖人と同様に法華経を身読したんだ。

日寛なら「お前の信心は身口意の三業がばらばらだ」と喝破するに違いない。

大聖人は法華経方便品の一心欲見仏 不自借身命についてこう仰せである。
一心欲見仏は妙法蓮華経なんだ。その妙法蓮華経を弘通するには不自借身命以外にないんだ。
そういっている。

<一とは妙なり心とは法なり欲とは蓮なり見とは華なり仏とは経なり、此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり、
一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり、
無作の三身の仏果を成就せん事は恐くは天台伝教にも越へ竜樹・迦葉にも勝れたり、
相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり、
法華経の御為に身をも捨て命をも惜まざれと強盛に申せしは是なり
御書892㌻ 義浄房御書>

ともかくも、日蓮仏法を語るならまずはこの御書を行動で読み切ってからものを言え。


※ところで、一心欲見仏について、大聖人は、三回読み下しを変えているが、これは決して言葉遊びではない。
境涯の変遷によって同じ言葉が違う意味をもって、読み取れることを読み下しを変えることで表現しているとわたくしには思う。

一心に仏を見る・心を一にして仏を見る・一心を見れば仏なりの個所。

つまり、
一心に仏を見るとは、自身が仏であることを信じるという境涯で見た時の一心欲見仏であり、
心を一にして仏を見るとは、そう信じ、自他ともに不惜身命で精進する人、戦う人が読める一心欲見仏であり、
一心を見れば仏なりとは、そのように精進するものは、自他ともに自身が仏であるとおのずから自覚するということの変遷を説いているように思う。

一心に見るの意は努力してみようとする姿勢であり、
心を一にして見るの意は専念している姿勢であり
一心を見るの意は如実に見ているということになると考えられるからだ。

面白いのは、全ての読み下しで欲が抜けているが、
このように真剣に自他ともに自身の仏性を事実の上で体現しようとする者は

そもそも、欲が大前提であるからあえて書かなかったとも思える。
そして、この欲とは、当然のことながら四弘誓願、また、日蓮門下であれば、"われ日本の柱とならむ…"に始まる大願にほかならないだろう。
ともかくも、この御文で大事になるのは、御本尊を信じ切ると共に、精進することの重要性を解き明かしている重要文だとわたくしには感じる。
また、天台教学が基礎にあったとされる義浄房がどのようにしたら理解できるだろうかとの熟考が端的に表れているともとれるこの御文に大聖人の相手の事を思う一念を感じずにはいられない。)


話しは元に戻るが、これまでいろいろ述べてはきたものの、私には日蓮仏法上の見識など世間の多くの大学者に並べられるほどのものはほとんどなく、頭も愚鈍で、また、これまで述べてきたことは全く憶測に過ぎないので違うかもしれないし、こういった研究はちょっと仏法をかじっているだけのような私ではなく専門家にお任せするが、

仏法研究家というより、仏法実践家の私からすれば、実感として思うところは、私は一閻浮提総与のご本尊は間違いなく大聖人の真筆だろうと思う。

それにつけてもこういった教学上の疑問が沸き起こってきたのなら、日蓮の流れを汲むと自認するのなら、御本尊にとことんぶつかり、また、とことんまで信行学に徹するのがまずは大前提であろう。

身読が大聖人の仏法であるのだから。
頭でっかちで行動しないような怠け者は表面上の言葉は追えても、中身を知ることはできない。

身読とは、日蓮仏法は身で読む、行動によって読むということで、つまりは現実変革者のための仏法なのだから、行動しないものにわかるわけがない。

それは、日顕といえども同様だ。
いったいどれだけ日顕は自身の個人折伏で信徒を増やしたのか。
個人折伏の労苦をどれだけ身で知ったのか。

労苦を知らないものに労苦したものの言葉の真意がわかるはずないだろう。

例えば、ピアノはどういう構造で音を奏でられるのか、どういうひき方をすれば、美しく聴かせられるか熟知していたとしても、ピアノの練習もしないものに美しい音色がピアノから出てくることはないのと一緒である。

また、師匠の言うとおりに練習しないものは、簡単な曲ならともかく、とてもじゃないが、難曲が心に響くようなことはない。

明確な知見をもたなくとも信心のあるものは、たとえどんなに頭が悪くとも、正しく物事を見れると大聖人はおっしゃっている。
逆にたとえ素晴らしい知見をもち、数多の見識を有していたとしても、信心のないものは、大悪人だと大聖人はおっしゃっている。

<たとひさとりなけれども信心あらん者は鈍根も正見の者なりたとひさとりあるとも信心なき者は誹謗闡提の者なり 御書940㌻法華経題目抄>


ただし、二点だけ気を付けなければいけないことは、本門寺の概念は、戒壇で受戒する伝統が息づいていたその当時の仏教界の慣例の上で広宣流布した場合、必須のものであったろうが、

現在はそもそも私度僧が横行して風紀が乱れているわけでもないし、そのことから戒壇そのものの存在意義自体必要なのかどうか疑問がある。

ここでは深くは触れないが、受戒は僧侶になるためにその当時、確かに必要なものであったが、その僧侶、つまりは宗教的専門家も現在のように創価の出現によって在家であっても、

というより在家の方が日々の生活との奮闘の中、宗教的専門家としての面をも兼ね備えてしまっている時代にあっては、なんの社会的な益ももたらさないで碌ばかりをはむ、僧侶という職業が必要なのかどうか、疑問がある。
収入源は、葬儀や、他宗においては、観光費によって賄われているのが現状だからだ。

歴史的産物としての寺社は、後世に残しておくべきではあると思うが、それは信仰の対象としてではなく、人類史の歩みの対象として残しておくのがよいと私は考える。

その産物の管理に人は必要ではあるだろうが、信仰上の手本にならないような僧侶ばかりなのだから、なにもそんな僧侶が管理しなくてもいいだろうし、そんな僧侶の生活の為に布施する必要もない。


そういった宗教としては形骸化し、宗教の大前提である民衆救済を忘れ、ただ懐古主義的な概念に縛られて時代にそぐわなくなってしまっている場所にある一閻浮提総与の大御本尊が例え紛れもない真筆であったとしても、
また、偽作であったとしても

大聖人の教義から逸脱して己義を構えて謗法化した場所にある本尊である以上、そこに大聖人のご精神がとどまっているはずもなく、受持の対象にしないのは当然のことと思う。

また、世界広布を迎えた現在、小さな島国に過ぎない日本の一か所を聖地化することは、そもそもは大聖人のご精神から逸脱していることに思えるし、これまでの他の世界宗教をみても、一つの場所を宗教の聖地にしてしまう事は、争いの元になっていることから、逆にとても危険な思想でもあると思う。

だいたいからして分身散体の義を持っていたとしても、義と亊ではやはり各別があり、そうすると必然的に大石寺を聖地化する発想も生まれてくるだろうし、

そうしたら地球の反対側にいる人で大石寺に一生涯行けず、楠本尊を拝めない人は成仏できない、あるいは功徳が少ないのだとしたら、これほど不平等な仏法はないと思う。

ただし、100年後、300年後、700年後、1000年後、人類全体の境涯が変わっていれば、時代的背景が変わっていれば、大石寺に謗法がなくなっていれば、話は違うかもしれない。

それは、身延についても同様に。北山も西山も同様に。
最後には、日興に帰順した日頂と同様に。
最後には、創価に帰順した笠原と同様に。
顕正会においても、そのほか多数の日蓮門下においても。


私はチェーホフが好きだ。師匠が教えてくれた桜の園が好きだ。

その一節にはこうある。
「僕はつよいんだ。誇りがあるんだ。人類は最高の真実、最高の幸福に向けて前進してる。僕はその最前線にいるんだ!」

戸田先生と池田先生が草創のころ、北海道に来道された折、戸田先生は言われた。
「私の故郷の北海道のすべての友を幸せにしてほしい」
それに対して池田先生は誓願された。
「はい、必ずいたします」

私は北海道の戸田先生の孫弟子であり、池田先生の弟子である以上、これまで紆余曲折を経ては来たものの、必ずこの不二の誓願を達成しなければならない。それが弟子というものだ。

戸田先生の言われるすべての友にどうして、他宗の人々が含まれないだろう。
また、「この世から悲惨の二字をなくしたい。どうだ! 一緒にやるか!」 
と叫ばれた戸田先生の述べる北海道のすべての友とは全世界のすべての友のことではなくてなんだろう。


ともかく、このご本尊は外に求めるべきではなく、私達の胸中に厳然とあるものである。
それは、一閻浮提総与の大御本尊とて例外ではない。

外に求めれば、まったく妙法ではなく麤法だと大聖人はおっしゃっている。麤法であれば得道しないとまで大聖人はおっしゃっている。


<此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、
是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、
之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、
此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり
御書1244㌻ 日女御前御返事>


<妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず麤法なり、
麤法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、
方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、
故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり。 
御書383㌻ 一生成仏抄>

ところでここで楠本尊の真偽から離れて、今度はこの御書から俯瞰して読み解くとき、本尊の真筆かどうかも、楠本尊を主として立てた日寬教学も実は方便だということになる。


ソローはミルトンの詩を模して歌った。
「天才とは、知識の殿堂すらこなごなに砕くかもしれない稲妻の閃光にも似た、暗闇を照らす光」と

ソローにならってわたくしにいうのなら
「信仰者とは、人びとを苦しみに陥らせる知識も伝統もこなごなに砕くであろう稲妻の閃光にも似た、暗闇を照らす光」
そのもの。




by soka23001118 | 2019-06-25 00:26 | 教学研鑽雑記 | Comments(0)

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